No.8 「キリストの弟子は、どんな訓練をするの?(4)」

 

 

 

◇◇訓練(その3):預言◇◇

 

 

 

〔聖書箇所〕Ⅰコリント人への手紙14:1

 

14:1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。

 

 

 

前回&前々回では、「お祈り」と「聖書通読」の訓練についてお勧めをしました。それにプラスして・・・と言ってはなんですが、さらにお勧めしたいことがあります。そんなことを言うと「ええーっ、まだあるの?」なんていう声が聞こえてきそうですが・・・あるいは、「なんだろう?」なんて興味を若干示してくださる方もいらっしゃるかもしれませんが・・・いずれにしても、当教会の牧師をはじめ、弟子の歩みのメンバーが皆行っていることなので、参考までにお話したいと思いますので、よろしければお読みください。

 

 

 

冒頭のみことばで、「特に預言することを熱心に求めなさい」とあります。当教会の牧師をはじめ、そこに集っているメンバーは、聖書に書かれていることは、どのようなことも実践していくことを歩みのスタンスにしています。それで、このみことばも、そのまま素直に実践するに値するものとして、訓練の一部としています。「預言」の訓練もやはり、当教会の牧師が、以前行っていた教会でも行っていたそうです。そしてそこの教会では、預言者になるのなら、一日「60回」の預言の訓練をお勧めしていたそうです。たしかに毎日それだけの回数を訓練できたらすばらしい!とは思いますが、当教会では、一日「10回以上」をお勧めしています。ではあっても、「今まで一度も預言をしたことなんてない!」と言われる方もいらっしゃるでしょう。心配しなくても大丈夫ですよ、著者もかつては初心者でしたし、今でも毎回、初心の思いで励んでいますので・・・「そっかー、それなら私にもできるかも」「だったら俺もチャレンジしてもいいかな」なんて思われる方に、訓練の仕方について説明したいと思います。その方法を以下、簡単に記しておきますので、よろしければ実践してみてください。

 

 

 

①「預言の賜物」を神さまに祈り求める

 

 

 

いくら「預言をしたい!」と思っても、それだけでは少し無理があります。「預言」も「御霊の賜物」の一部ですので、やはり上(天)から「預言する力」が与えられなければ、できませんよね?そのためには、「神さま、預言の賜物を与えてください!」という風に、お祈りする必要があります。ちなみに「賜物」は、KJV訳では“gift”(プレゼント、贈り物)とあります。そうなんです、「賜物」は、神さまからの「プレゼント」なのです。たとえば、過去、誰かから何かほんのささやかなものをプレゼントしていただいた、なんていう体験をされたことはあるでしょうか?それとも、全くないでしょうか?もちろん人からプレゼントをいただけたら、とてもうれしいことではありますが・・・しかし、もし、そうではなくても、神さまからの賜物、つまり「プレゼント」は、私たちが求めさえすれば、必ずいただけるのです。他の聖書箇所に「求めなさい、そうすれば与えられます」ということが書かれています。しかも「だれであれ、求める者は受け」とも書かれています。いずれも、イエスさまが言われたことばなので、信じる人にはそのまま成就していきます。なので、ぜひ、「預言の賜物」が与えられることを信じて、祈り求めていきたいと思います。

 

 

 

②「神さまの声」を聞く

 

 

 

お祈りの中で、「預言の賜物」を神さまに求めたら、次の段階として、神さまが何か語っていないかを、聞いてみましょう。もちろん肉声としては、聞こえてきません。万が一にも、肉声、つまり音声で聞こえてきた場合、つまり人間の声のように聞こえてきたら、それは「聖霊の声」ではない可能性がありますので、要注意です。絶対に!とは、言いませんが、それに関して、こんな話がありますので、参考までにしていただけたらと思います。

 

 

 

過去、著者の知り合いのクリスチャンのさらに知り合いの人が、人間のような声で、神さまの声が聞こえる、という人がいたそうです。もちろん、その方もクリスチャンで、教会にも行っていたそうです。その方と著者の知り合いの人とは、住まいが離れていたので、手紙や電話で、「神さまがあなたには、こういうことを語っている、ああいうことを語っている」という風に、著者の知り合いの人に色々と助言をされていたそうです。そしてある時、「ねぇ、今度その声をテープか何かに録音してこっちに送ってきてくれない?」とお願いしたそうです。そこでその方は、声が聞こえる時に、録音をしてみたそうです。そして聴いてみたら、何かザーッという音しかなく、ことばは一切、聞こえてこなかったそうです。それからしばらくして、何かをきっかけにその方は、霊的におかしくなって、クリスチャンとしての歩みが立ち行かなくなったということを、著者の知り合いの方は話していました。

 

 

 

本当にそのことがきっかけかどうかは分かりませんが、その方が霊的におかしくなってしまったということを聞いて、こんな風に思いました。すべて当たっているかは分かりませんが・・・もし、神さまの声が、何か「肉声」や「音声」として聞こえてくるようでしたら、怪しいかも?と思ったほうが良いかもしれません。絶対に!とは言えませんが、それは、敵(サタン)の声の可能性が高いと思います。その方が聞いたものが、本当に神さまからの声であれば、霊的に良くなることはあっても、おかしくなることはないと思いますので・・・あっ、ただ、勘違いしないでくださいね。その方のことを批判したり、咎めているわけではないことを、どうかご理解ください。万一、私たちの上にも、同じようなことが起こった時には気を付けていきましょう!と、それと参考までに、という思いで話をさせていただきました。その方が、今もなお、霊的に悪い状態に陥っているなんてことは、もちろん考えたくはないのですが、しかし今だ、そのような状態を引きずっているようでしたら、聖霊によって正しく歩むことができるように願っています。

 

 

 

ちなみにⅠ列王記には、神さまの声のことを「かすかな細い声」と書かれています。その箇所は、KJV訳では、“smallvice”(小さな声)とあります。うろ覚えではありますが、著者の知り合いのクリスチャンの話によると、何でもその方には、神さまの声と呼ばれるものが、ハッキリと聞こえていたようです。このことからも、その方の聞こえていた声というのは違うのでは?と思います。

 

 

 

「じゃあ、神さまの声は、どうやって聞くの?」と言うと・・・それは個々の人のそれぞれの心の思いに語りかけを与えてくださるのです。私たちのほうで、「神さま、何か語りかけを与えてください」「神さまは何を語っているのでしょうか?」という風にお祈りを捧げていくときに、私たちの内側にご自身の思いを語ってくださるのです。たとえば「明日、集会に新しい人が来るよ」とか「この奉仕をやってごらん」とか、そんな風に、です。もちろん、捉え違いや勘違いや聞き違いをしたり、そして時には、神さまの声だと思ったけれど、敵の声だった、なんていうこともあります。でも、大事なことはそんな中でも、神さまの声を何とか聞いていこうとすることです。それを繰り返していくことです。そうしていくうちに、だんだんと神さまの語りかけをとらえられるようになっていきます。

 

 

 

③実際に声に出して、預言する

 

 

 

預言の賜物を求めて、神さまの語りかけを聞いて、「こんな風に語っているかな?」と思われたら、思い切ってそのことを声に出してみましょう。すぐにうまくできるかどうかは分かりませんが、それがまさに「預言」の訓練なのです。極端なことを言うなら、はじめは聖書のみことばでも良いと思います。著者も預言をしながら、みことばを思い浮かべる、なんていうことをよく体験していますし、今でも多々あります。たとえばとても単純なのですが、「感謝しなさい」なんていう語りかけを受けます。これって、聖書にも書いてありますよね?「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことに感謝しなさい」と。人が聞けば、一見大した預言には聞こえないかも知れませんが、著者個人としては、結構大事なことなのでは?と思います。そう、こうした訓練を「一日10回」を目安に行っていくと良いと思います。

 

 

 

さらに「預言」に関して、聖書の別の箇所では、「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」とあります。霊的に時代を見分けるなら、今は、まさしく世の終わりの時なのでは?と思います。なので、今こそ「預言」を熱心に求める時なのではないでしょうか?そして「預言」は、単なる訓練だけではなく、あらゆることに有益です。当教会では、預言を求めて神さまの語りかけを聞いていく中で、色々な奉仕を進めています。また、それぞれの人によって歩みは異なりますが、その時々に起きてくる出来事や問題への良き解決策を得ることもできます。なので、訓練をすることで、働きや歩みの方向性を理解したり、霊的に強められたり、危険や罠から助けられたり、内側に喜びや励ましを受けたりと、一石○鳥なのです!ですから、「預言」の訓練も実践しなければ、「損!」とも言えてしまうのです。

 

 

 

今回は、「預言」の訓練についてザッと述べましたが、概ねご理解いただけましたでしょうか?もし、御心を感じましたら、このこともぜひ、実践してみてください。