No.4 「イエス・キリストの弟子とは?」

 

 

 

◇◇聖書で言われている「弟子」の意味合いとは?◇◇

 

 

 

〔聖書箇所〕ヨハネの福音書13:35

 

13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」

 

 

 

No.&No.3のメッセージと、若干重複しますが・・・No.2では、「礼服」を着用しましょう!ということをお話しました。それは「義の衣」を着ること、つまり御心を行うことだという風に言いました。そうなんです、聖書で定義されている「弟子」とは、まさに御心を行う人のことを言われているのです。そしてそれは、冒頭のみことば「互いの間に愛がある」ことに通じるのです。ここのところはKJV訳だと、「他の人に愛を持っている」とあります。また、下記みことばを見てください。

 

 

 

〔聖書箇所〕Ⅱヨハネの手紙1:5,6

 

1:5 そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです。

 

1:6 愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。

 

 

 

5節でも、「互いに愛し合う」ことを言われています。これって、先ほどの「互いの間に愛がある」(KJV訳:他の人に愛を持っている)と同じことを言われているのではないでしょうか?そうするにはどうしたら良いのか?が6節に書かれています。「愛とは、御父の命令に従って歩むこと」とハッキリ書いてあります。要するに、イエスさまが言われていることに従って歩めば良いのです。たとえば、「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことに感謝しなさい」ということが聖書に書かれていますよね?そうしたらその通りにすれば良いのです。「迫害する者のために祈りなさい」ともあるので、そのこともそのまま実践すれば良いのです。そういうことを躊躇なく行っていくときに、「互いに愛し合う」ということが全うできるのです。

 

 

 

誰かに何かプレゼントをするとか、慈善事業をするとか、それもたしかに「愛」の一部かもしれません。しかし、聖書で言われていることはとても単純明快なことで、御父、つまり天の父(イエスさま)の命令に従って歩めば良いのです。そして天の父の命令に従って歩んでいる人が、「イエスさまの弟子」と見なされるのです。また、イエスさまの命令に従っていくときに、人々に対して良いこと、益となることをごく自然に行えてしまうのではないかと思います。ゆえに神さまだけではなく、全ての人にも認めていただけるのです。

 

 

 

ちなみにこのようなみことばがあります。ヨハネの福音書に書かれていることです。

 

 

 

「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます」

 

 

 

「わたし」とは、イエスさまのことです。そして、「ことばは神であった」とあるように、イエスさま(神さま)は、「みことば」でもあります。ですから「わたしに仕える」とは、「みことばに仕える」すなわち、神さまの御心を行うことを言われているのでは?と思います。つまりここで言いたいことは、「もし、神さまの御心を行いたい!と思っている人は、わたし(イエスさま)について来なさい、わたし(イエスさま)がいるところに、御心を行いたいと思う人もいるべきです」ということです。イエスさまについて行くとか、イエスさまのところにいるとは、ペテロやヨハネをはじめとする12弟子(イスカリオテのユダは最後裏切りましたが・・・)のように、イエスさまの弟子として歩みをすることですよね。しかも、「わたしに仕えるなら、父はその人に報いる」とあるように、神さま(イエスさま)の御心を行う人に、父(天の父)は良い報いをくださるのです。なので、神さまの御心を行っていきたい!あるいは行おうかなぁ、なんて思われるのでしたら、神さまの御心を行う歩み、そう、弟子の歩みをしていくことをおすすめします。

 

 

 

今回は、イエスさまの弟子がどのような人なのか?について簡単に述べましたが、概ねご理解できましたでしょうか?あまりにも単純過ぎることのゆえに、拍子抜けしてしまう方もいらっしゃると思いますが、聖書が語っていることをありのまま語らせていただきましたので、ご理解いただけたらと思います。次回は、イエスさまの弟子として志そうとしている方に、弟子の訓練について話したいと思います。もし、興味がありましたら、引き続きお読みいただけたらと思います。