No.1 「招かれる者は多い、しかし選ばれる者は少ない」

 

 

 

◇◇天の御国への道は、細くて狭い道◇◇

 

 

 

キリスト教会や、そして教会におられる牧師やメッセンジャー、周囲のクリスチャンがどのように言っているかはともかく・・・どうも聖書では、クリスチャン全員が「天の御国に入れますよ~」なんていう風には、語っていないようです。「そんなはずはない!皆天国さ!」と思っている方は多いと思いますが、さて、みことばは、どう言っているでしょうか?その箇所を見てみましょう。

 

 

 

〔聖書箇所〕マタイの福音書22:1-14

 

22:1 イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。

 

22:2 「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。

 

22:3 王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。

 

22:4 それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』

 

22:5 ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、

 

22:6 そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。

 

22:7 王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。

 

22:8 そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。

 

22:9 だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』

 

22:10 それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。

 

22:11 ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。

 

22:12 そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。

 

22:13 そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。

 

22:14 招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」

 

 

 

少し長いのですが、ここで言われているのは、王(神さま)が王子(イエス・キリスト)のために主催した結婚の披露宴に、沢山の人(クリスチャン)が招待されました。「結婚の披露宴」とは他でもない、花婿なるキリストが、花嫁を迎える子羊の婚姻の時です。。そして10節で「宴会場は客でいっぱいになった」と書かれているように、多くのクリスチャンが招待を受けました。しかし、結果はどうだったか?と言うと、14節で「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」と書かれているように・・・クリスチャンのすべてが御国に入れるのか?と言うとそうではなく、「選ばれる者は少ない」とわざわざ強調されているように、実際に入れるクリスチャンは少ないのです。つまり、クリスチャンであっても、御国を受け継ぐクリスチャンと、そうでないクリスチャンとに、二分することがお分かりになると思います。「ええっ、嘘?」と思うかもしれませんが、次のみことばもそのことを証しているのでは?と思います。

 

 

 

〔聖書箇所〕マタイの福音書7:13,14、ルカの福音書13:23-25

 

7:13 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。

 

7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

 

13:23 すると、「主よ。救われる者は少ないのですか。」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。

 

13:24 「努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。

 

13:25 家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください。』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない。』と答えるでしょう。

 

 

 

上記みことばは、天の御国に関して、「狭い門、小さい門」「道は狭い」「見いだす者はまれ」とハッキリ書いてあります。しかも「滅び」についても言われていて、「門は大きい」「その道は広い」「そこからはいって行く者が多い」と合計6回も天の御国、永遠の命に至る道が狭いことが強調されています。そのようなことから、当教会では、「天の御国」のことを「六重苦」なんていう表現をしています。そうなんです、これらのみことばからも、天の御国に入ることが「楽勝」なんてことは決してない、ということがお分かりだと思います。「信じられない!」と思うかもしれませんが・・・そして身も蓋もない言い方で恐縮なのですが、これが聖書で言われている現実なのです。なので、「天の御国に入るのは少なくとも簡単なことではない。もしかすると困難なことかもしれない」ということを正しく認識したいと思います。そうでないと、天の御国を目指すことは無理だと思いますので、まず、このことを理解しましょう。

 

 

 

たとえば、多くのスポーツアスリートの人たちがいて、皆オリンピックを目指しているとしますよね。でも、その時に、「オリンピックに出場するなんて簡単さ。要望があれば、誰だって行けるんだよ」なんていう嘘の情報が出回ったら、どうなるでしょうか?しかもそれがニュースとかで流れたら、多くの人が信じてしまいますよね。それでオリンピックに向けて必死に練習する選手が減ってしまいますよね。でも、いざ、選考の段階になってそういう人たちはどうなるのか?と言うと、みごとに除外されてオリンピックには行けなくなると思います。成すべき練習をさぼってしまって、出場の基準を満たさなかったのですから・・・

 

 

 

これはこの世のことではありますが・・・しかもオリンピックに出場できなかったからといって、死活問題にかかわるか?と言うと、そうではありませんし、まして、今回だめでも、四年後にチャンスもあるわけですよね。でも、天の御国に関しては、そうはいきません。一回かぎりの勝負ですし、「天の御国」に入るには、「努力」が必要なことがハッキリと書かれています。ですが、「楽勝」なんていうデマを信じて、そのための努力をサボッてしまったら・・・オリンピックに向けて練習をしなかった選手が出場権を獲得できなかったように、クリスチャンであっても、「天の御国」に入ることはできなくなってしまうのでは?と思います。なので、まかり間違えても、そのようなことにならないようにしたいと思います。そしてそのために、次回以降からは、どうしたら神さまに「選ばれる者」、つまり天の御国に入れるのか?について少しずつ学んでいきたいと思います。